12月3日

祖母が倒れました。その日は祖父のお見舞いに祖母も行く予定でした。朝10時、私が起きてトイレに行くと祖母がうずくまっていました。すぐにおかしいと思ったので母を呼び救急車を呼びました。あの時の救急隊員の方には住所をいう際に郵便番号から言ってしまって申し訳なかったです。

 

病院に着き説明を受けると、血圧•体温共に低すぎて測れずショック状態であるということでした。ショック状態でも家から病院に着くまで意識があった祖母がすごいと思います。

 

「ここの病院では無理なので、救急車で別の病院に行きましょう。」と言われて別の病院に行きました

 

あ、ここまで私はずっと泣いてます。この時点ではずっと思っていた彼氏に突然わけもなく振られたくらい泣いてます。

 

「腹部動脈瘤破裂ですね。救命率は半々です。助けるためには手術しかないのでします。」

 

高血圧症だった祖母ならあり得ることだとは思いました。しかしながら、ここまで痛いとも言わないで正気でいる祖母アメイジング過ぎて言葉が出ません。嗚呼祖母や、あなたすごいです。

 

あ、ちなみに私は泣いてます。手術中に亡くなることもあると聞いていたので泣いてます。ものもらいができたばりに泣いてます。もう閉じても開けても目が痛い状態です。

 

祖母は手術の準備をしていました。輸血の管、点滴の管を通していました。輸血の管を通す時に「あ、ちょっと痛いなぁ」って言ってました。いや、そこが痛いならお腹は倍痛いでしょ、おいおい、そこはまだ序の口の痛さじゃねぇかよ…

 

手術室へと入るときに話しながら行きました。そして祖母最期の言葉になりました。

以下会話

わし「おばあちゃ、わかる?」

祖母「うん、わかる」

わし「頑張ってよ、気張っておってよ!」

祖母「うん、頑張るよ。

 

           あぁ、なんか夢を見とるようだな」

 

もう長くはないとわかりました。もう泣くしかなかったです。待ってる間、姉が来たり親戚に電話をしたり、だいたい6時間くらい待ちました。長いとも思いましたけど、私もいっそ死んでしまいたいと思いました。

 

姉、叔父、私がご飯を食べている時祖母の手術が終わりました。無事でした。麻酔をする際に血圧が下がったそうです。普通の人でも下がるらしいのですが、ショック状態で元々低かった血圧がさらに低くなるので三途の川に片足突っ込んでだと思います。よかった、曽祖父母ら先祖代々の仏様が祖母を連れて行かなくてよかったです。

 

リアルコードブルー状態でした。呼吸器の管をつけていたんですけど、ドラマみたいにがっちりブルーのやつがついてると思ったらただ管を入れてあるだけでした。違うんかい、おい。って思いました。次の日に呼吸器が外れるかもしれないと言われました。

 

入院に必要なものを買って家に帰ると11時を過ぎていました。とりあえず何かあると困るので居間で寝ました。けど寝られませんでした。12時に寝て2時に起きました。寝られなくてずっと泣いていました。母と姉と3人でずっと話しました。

 

 

 

祖父はその日、祖母が倒れたことを知りませんでした。知らせませんでした。祖母が話すなと言って合おうとしなかったからです。多分祖母自身が死ぬなんて思ってなかったんだと思います。後悔してるかと聞かれればしてます。会って話していればよかった、祖父も話したかっただろうにと思っています。